ふなで

月間推理界 出合い

後期高齢者になって、わが人生行路も、直線の先に、ゴールが見えかくれするようになった。

ごく若いころ、生き続けられるなら、財を成し、弱い人、困っている人を助ける人物になりたいなあとねがった志は、ついに果たせず。

老いて、財布は軽く、おのれの頭の上のハエ一匹、しまつできないていたらく。
哀しい…。

それでも、たまたまであった男の才能に気づき、その能力をムダにしないためにせいいっぱい頑張ったことだけは、なぐさめかなと…。

時の脚の速さについては、立派な先人たちがてんこ盛りで書いてるので、ひとまごときは書きませんが、
ほんとうに、ほんとに、速いです。(キッパリ)                       
人生は長い夢…。

だから、残りの時間は好きに過ごしたい……。
しかし、金という敵にであってもかえりうちにあっちゃうし、どうすりゃいいのか…。

死ぬまで悩むね、これは。

(一間ひふみ)

 

舟出(ふなで)

見上げる秋の夜空は漆黒で、月も星も見えません。

視線を下げていき、目を凝らしても、暗い夜空は同じく暗い海原の果てに融(と)け、海と空のあわいさえわかりません。
チラチラと波頭が光り、ちっぽけな人間たちを脅しつけるように、腹底からゆすりあげる鈍い音がとどろくばかり。

そんな海へ、ふたりは朽ちかけた小舟を押し出し、乗ろうとしていました。

粗末な小舟が、沈まずに広い海原を進み、どこかへたどり着ける見込みなどあるわけもなく、
世間知らずだった若いわたしにさえ、無謀だとはわかっていました。

それなのに、なぜかすこしも怖くありませんでした。
どうせ、人は、いつかかならず死ぬのだから、どうなろうと大きな違いはないのだから…そうかんがえていました。

明治生まれの両親のもと、男尊女卑という
当時でさえ、すこし時代に遅れた考え方の家庭環境は、わたしには絶望的に思えました。
家族になにをいってもしかたがないことはわかっていたので、
家出をくりかえし、人生から逃げ出したくて、自殺未遂も一回…。

そんなふうでしたから、
命など、はやく捨てたいとさえおもっていたのです。

とはいえ、
いざ、先のまったく見えない男と生きようと決めると、足がすくみ、逡巡したのです。

そんなわたしのいっときの逡巡が消えたのは、
わたしが気づいた男の才能に、
なぜか、まわりのだれひとり気づかず、認めようとしなかったからでした。

わたしが離れたら、この才能は、無頼に溺れかけたこの男とともに、だれにも知られることなく消えてしまうにちがいない、そうかんがえました。
それは、わたしには、とうてい耐えがいことにおもえたのです。

ふたりが乗り込むと小舟は危なっかしく揺れ、このまま沈むのではないかとおもいました。
けれども、たよりないちいさな朽ち舟は、案外なんとか沈まず、ゆっくりと、前に進みはじめたのでした。

目の前にかざした自分の手のひらさえ見えない視界の中で、

その時はもう、
若いわたしは、行く手への不安以上に、
恵まれた才能を持ちながら破滅に向かおうとしているとしか見えない男の、人生の伴走者としての道を、
こうして自分がえらんだことに、心からの深い安堵を覚えていたのです。

男は32歳、わたしは22歳。

初秋の、暗く無窮の空の下の、木の葉のように小さな舟の中で、ぬくもりは互いの体温だけでした。

 

 

 

出逢い

 

半世紀以上もむかし。昭和44年の11月初旬。

水道橋駅から歩いて数分ほどの雑居ビルにあった小さな出版社のドアが開き、

廊下にわだかまっていた、初冬にしてはやけに冷たい空気がサッと流れ込み、
ドアの右手奥の壁際の席にいたわたしの机の下でうずをまき、薄いストッキングをはいた両足を冷たくつつみこみました。

読んでいた「月間推理界」のバックナンバーのページから顔を上げ、左手をみると、背の高い男がひとり、通りがかった席の何人かに機械的にぺこぺこと頭を下げながらこちらに向かってくるのが見えました。
当時としてはやけに背の高い、色の黒い、ひょろりとやせた男でした。

くたびれたカーキ色のショルダーバッグを肩から下げ、ニワトリのとさかのように逆立った髪に長い首、黒っぽい背広上下は、アイロンをあてた日から一年ほどはたっていそうに見えました。

浪速書房は、広くもないフロアに、4っつから6っつくらい寄せた机が、それぞれグラフ雑誌や月刊誌の「編集部」となっていて、
男は、わたしのいる推理界編集部のとなり、「月間狩猟界」の編集部の編集長(小太りで色の黒さは入ってきた男と負けていない顔に、すこしあばたが目だっていましたが)から、数枚のコピーを受け取りました。

コピーを手にしたまま、振り返ると、わたしの前の席を、指で指し、
「ここ、つかっていい?」
と聞きました。

 

「月間推理界」出会った翌年の5月号月間推理界

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